Bula!🙌こあらです🐨
今日はとってもとっても貴重な、フィジーでJICA(青年海外協力隊)として活動されている隊員の方にお話を伺いました!!!
アンケートにお答えいただいたのは、
フィジー本島北西部、バ(Ba)という町で活動されているChikaraさん。
バはラウトカから北に1時間ほど。
バ・タブア周辺にある小学校なんと60数校を周り、図工・体育・音楽の教育に従事されていらっしゃいます。
ときには山を登り、丘を越えて泊まりで出張に行かれることもあるのだとか。
(ご本人提供)
口を大きく広げて歌う姿が印象的です。
弾きながら歌うって難しそう…
JICAに憧れている、
海外で人の役に立つことがしたい、
JICAの応募に悩んでいる、
そんな皆さんのヒントになる言葉がたくさんあると思います。
ぜひじっくりお読みいただければと思います。
62校をまんべんなく周り、生徒や先生たちの指導にあたられているんですね🌟
生徒さんの個性や成長度合いを把握しながら進めないといけないし、「全員に楽しんでもらえる授業」というのを常に追求されている姿勢がとても伝わってきました!
当たり前ですが日本のようにいかないのはもどかしいこともあったと思います…。
1つでははく、色んな理由が混ざり合っています。
将来的に日本で教員になるつもりしたが、就職前に自身が様々な経験を積んで見聞を広げておきたいと考えていました。
年齢を重ねるにつれ、職場や家族の関係で海外に長期滞在するハードルは高くなると感じていたので、27歳のこのタイミング逃すともう機会は作れないかも、と思い応募しました。
(勿論、色んな制度を利用したり上手くマネジメントしてJICAに参加されている年上の方も沢山いますよ!)
20代前半のころ、ヒッチハイクで日本一周をしたことがありました。
見ず知らずの方々に本当に良くして頂き無事に達成することができたので、ずっと恩返しをしたい気持ちでいました。
しかし、ほとんどの方は連絡先も分かりませんし、そもそも見返りなど求めていない方ばかりでした。
ではせめて、頂いた恩を別の誰かに送らなければ!ということでボランティアに興味を持ちました。
「恩送り」、この考え方がとても素敵だなと思いました✨!!
ヒッチハイクで日本一周された勇気も尊敬します!
車に乗せてくれた人たちも、きっと喜ばれていると思います!
自分の父親も元々JICAボランティアだったらしく、どこでどんな活動をしていたか詳しくは知らなかったですが何となくJICAの存在は知っていました。
自分の同期の隊員の中には、学校や講演会で元ボランティアの方の話を聞いて、それがきっかけでJICAボランティアに昔から憧れていて応募しました!といった方は結構多かったですね。
残念ながら自分はそのような機会はありませんでしたが、父親の影響は大きかったと思います。
正直なところ、あまり覚えていないです…。
一次選考で書類審査があるのですが、その時提出した書類を元に質問されたと思います。
・なぜ今のタイミング(教員経験がない状態)で派遣を希望するのか?
日本で教員として数年働き、経験を積んでからの応募ではダメなのか?
・希望した国に派遣が決まらなくても問題ないか
・趣味について
などですね。
自分の場合は、和やかな雰囲気で、自分よりも面接官の方が話している割合の方が多かったです。
ただ、人によっては厳しい質問をされた人(例えば圧迫気味で「○○の意味って本当に理解していますか?」等)もいるようですので、それぞれですね。
たとえ圧迫面接であっても、その場で冷静に、自分の考えを述べられることができればいいですね。
緊張はだれもが経験することだし、自分のJICAへの想いを存分に伝えましょう。
第一希望ではありませんでしたが、受かったこと、そして使用言語が英語であったので安心しました。
なんとなく“南の島”といったイメージしか当時持っておらず、フィジーに対する想いは特に無かったです。
活動内容は小学校の先生、生徒に対して図工・音楽・体育の指導ということで、今まで全く携わったことのない分野であったので若干不安でした。
全く知らない土地、全く興味のない街、全く経験のないことが割り振られることもあるのですね…。
でもそれもJICAの隊員としての使命なんですかね!
fijianwalker.com 様より引用
laduenews.com 様より引用
フィジー到着後はまず事務所で2週間程度オリエンテーションを行いました。
規約の確認や安全管理、銀行口座の開設など、JICAボランティアとして、フィジーで生きていく上で基本的なことを学びます。
その後フィジー語、ヒンディー語の研修を1週間ずつ行いました。
語学研修の後には実際に2泊3日でスバ近郊のビレッジにホームステイに行き言語の実践と文化理解を行います。
約1ヶ月のスバ研修の間、休みは確か1日か2日しかなく慣れない土地で少しハードでしたね。
「常に良い日本人でいなければ」とプレッシャーを感じたことです。
当時、バでは日本人は自分しかおらず、自分の印象=日本人の印象となるため常に気を張っていました。
常に笑顔、挨拶、協力する姿勢を心がけましたが、内心はいつも元気なわけではないので、少し無理していましたね。
徐々に慣れてきて、無理せず自分のペースで過ごせるようになりました。
あと、少し前述しましたが活動内容は「小学校の先生、生徒に対する図工・音楽・体育の指導」です。
しかし、実は自分は小学校の教員免許や経験も無ければ、特に楽器が弾けたり絵が得意な訳でもなく、求められているスキルを自分が持っていないと感じていました。
それでも学校に行けば「日本から音楽のスペシャリストが来てくれました!」と校長先生が自分の事を他の先生や生徒に紹介するので内心は冷汗ですね。
「俺全然役に立てへんやん、、、」と初めはちょっと凹んでた時期もありました。
期待やプレッシャーが大きく、苦労されたこともたくさんあったのですね。
初めての地で、しかも日本人が誰もいない、いわゆる開拓者だったわけですね。
すごい挑戦の日々!!
共有という価値観。
フィジーでは“ケレケレ文化”という言葉に表されるように“共有”という概念を大切にしおり、砂糖や草刈り機等の身近な物から、お金も家族やコミュニティの中で共有し合っている様子が頻繁に見受けられます。
フィジーに来た当初はこの文化を「自分の持っている物を他の人と共有し、互いに助け合う」ことだと理解していましたが、フィジーで過ごす時間が増えるにつれ、このケレケレ文化にはもう少し深い意味があるのではないかと感じ始めました。
それは、“時間”の共有です。
フィジー人は物質的な共有だけに留まらず、自分の持っている時間を他者と共有していると私は感じています。
フィジー人はカバ*という伝統的な飲み物を好み、日常的にコミュニティで集まり時には深夜までカバ飲みをしていますが、これも時間の共有の概念が表れていると思います。
フィジーは主観的な幸福度ランキングが世界1位の国として知られていますが、その背景にはこの“時間の共有”も1つの要因なのではないかと考えています。
時間を共有し合うことで、自分がコミュニティの中の一部であると認識することができ、自分の居場所が生まれます。
自分の居場所があることはそれだけで大きな幸せに繋がるのではないでしょうか。
この“自分の居場所感”は単に物を共有するだけではなく、人生の一部である時間を共有することでより大きくなると思います。
※カバ…家族の集まりや近所、教会の集まりで飲まれる伝統的な飲み物
自分が日本にいたときは、隣人はもちろん家族間でもプライベートを大切にしており、他者の個人的なことに足を踏み入れないようにしていました。
しかし、プライベートを意識するが故に個人主義になり、自分の居場所を作りにくかったと今では感じます。
当然のことながら、物事は一長一短で共有文化があるが故に誰か一人が突出できないなど弊害があったりもするようですが、“自分に居場所があり、誰かと一緒に生きている”感覚はやはり幸福度と無関係ではないと思います。
ちなみにフィジーでストリートチルドレンを見たことはありません。
必ず親戚やコミュニティの中で面倒を見るので孤独なこどもはいないです。
コミュニティや自分の家族と過ごす時間が最も大切で、仕事は二の次なフィジー人も多いですが、彼らの価値観に触れ自分も“自分の人生で一番大切なことは何か”と改めて考え直しました。
リアルの現場が見えることと、チャレンジできる環境があること。
JICAボランティアの醍醐味は何と言っても現地の人と共に過ごし、草の根レベルで現場を見てサポートできることだと思います。
国が行っているような大型支援(例えば橋の建設、インフラ整備等)も当然大切ですが、書類だけでは見えないことばかり。
現地人と生の声を聞き、同じ物を食べ、同じ環境に身を置くことで初めて本当の現地人の需要や不満(怠慢や適当さも)が見えてきます。
その上で2年間、ある程度の生活を保障されつつ自分でチャレンジできる環境があるのは非常に恵まれていると思います。
ここではチャレンジして上手くいかなくても、責任を取って給料を減らされることもなければ怒鳴られることもありません(もちろん上手くいくように全力でやりますが!)。
成果が伴う必要がある会社なんかだとこうはいかないので、この環境は有り難いですね。
たしかに、言われるまで気が付かなかったですが、こんな環境、探してもあまり見つからないと思います!期待していたことと全然違う!と嘆くより今、自分がここで何ができるかを探し、挑戦できることに感謝し、このような環境を前向きにとらえることが大切なんですね🌟
是非同じJICAボランティアとして活動していきましょう!
と、言いたいところですが、実際のところ苦労も多いです。
結構、先輩隊員を見ると輝いて見えて、大きな希望と期待を持ってボランティアに応募する方も多いのですが、やりたかった理想と実際の現場は違ったりすることもあります。
例えば、
・日本語教師として意気込んで派遣されたが、いざ任地に赴任し学校に行ってみると生徒が誰もいない!
・消防士としてのスキルを活かそうと思って来たのに実際は土木関係の仕事を任された!
・募集要項に書いてあったことと全然違う!
なんてザラです。
派遣される国も選べないので、「大学で学んだ知識を活かしてカメルーンの村で漁業支援したい!」みたいな具体的にチャレンジしたいことがある方は向いていないかもしれません。
でも、もしあなたが「誰かの役に立ちたい」という強い思いを持っていれば、与えられた環境の中であっても自分のできる事を見つけることができますし、それはあなたの人生の中でかけがえのない経験になると思います。
応募の動機はたとえ、「海外で経験を積みたい」「語学を学びたい」といった自分のためであってもいいと思います。
それは偽善者ではないですよ。
だって、自分のために、誰かのためになることをできるってすごいことじゃないですか。
もしJICAボランティアがあなたにとっても有益な選択肢であるなら、是非門を叩いてみてください。
強い意思を持つあなたを待っている人が、世界のどこかにいるはずです。
Chikaraさん、とっても勇気の出る、心強いメッセージをありがとうございます!!!🤩
ボランティアだけじゃなく、仕事でも人生でも、辛いこと、苦しいこと、思い通りにいかないことって絶対にあると思います。
今日これに出会ったのが縁だと思うので、思い立ったが吉日!
一歩踏み出してみましょう!悩んでいる時間がもったいないです😉
これを読んでピンときたあなたはぜひ2020年春募集に応募してみましょう!!
応募期間:
2020年2月20日(木)~2020年3月30日(月)
※募集要項等は2020年2月以降公開予定です
※2020年1月上旬より全国で説明会が開催されるようです!
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フォトグラファー兼ブロガー
動物占いで「フットワークの軽いこあら」です。
関西のいなか出身、早稲田スポ科卒。
小学校から大学までソフトテニス一本。
大学卒業後、フィジーへ移住。
2年間のフィジー生活を終えて2020年夏に帰国。
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